(原文)
二十二日。夜べの泊りより、異泊りを追ひてゆく。はるかに山見ゆ。年九つばかりなる男の童、年よりは幼くぞある。この童、船を漕ぐままに、山も行くと見ゆるを見て、あやしきこと、歌をぞよめる。その歌、
漕ぎてゆく 船にて見れば あしひきの 山さへ行くを 松は知らずや
とぞいへる。幼き童の言にては、似つかはし。
今日、海荒げにて、磯に雪降り、波の花咲けり。ある人のよめる、
波とのみ ひとつに聞けど 色見れば 雪と花とに まがひけるかな
(口語訳)
二十二日。昨夜泊まった港から、別の港に向かう。はるか遠くに山が見える。ちょうど九歳で、見かけは年よりも幼く見える男の子がいる。この童児が、船が進むにつれて山も動くように見えるのを見て、それを不思議に思って歌を詠んだ。その歌は、
漕いで行く船から見ると、山までが一緒に動いて行くのを、山の松は知らないのだろうか。
というものであった。幼い子供の歌としては、それに似つかわしい。
今日は海が荒れ模様で、磯の波が雪が降るように白く、また花が咲いたようにも見える。ある人が詠んだ歌、
音に聞けば波に聞こえるけれども、その様子を見ると、雪とも花とも見紛えるようであるよ。
「夜べの泊りより、異泊りを追ひてゆく」
前日(二十一日)の日記は、海を進んでいるところで終わっており、「夜べの泊り」がどこなのかの記載はなく、またこの日目指している港の記載もありません。
「年九つばかりなる男の童、年よりは幼くぞある」
「ばかり」を「およそ」の意と捉えてしまうと、「年よりは幼く」とのつながりがおかしくなります。この「ばかり」は、「ちょうど」または「わずか」の意と捉えるべきでしょう。
十二月二十七日の日記には、「京にて生まれたりし女子、国にてにはかに亡せにしかば」との記述があります。貫之の実の娘が、土佐守在任中に亡くなったことを示すものですが、このことを合わせ考えると、この箇所の「ばかり」を「ちょうど」と解する解釈に、俄然深みを覚えます。つまり、「年九つばかりなる」=「亡くなった娘とちょうど同じ九歳」と解する解釈ですね。貫之の娘の生年や享年はわかっていませんが、土佐日記のこの記述を根拠に享年は九歳前後であったと推定することには、一定の妥当性がありそうに思えます。
