延喜の御時、大和歌知れる人を召して、むかしいまの人の歌奉らせたまひしに、承香殿の東なるところにて歌撰らせたまふ。夜の更くるまでとかいふほどに、仁寿殿のもとの桜の木に時鳥の鳴くを聞こしめして、四月六日の夜なりければ、めづらしがらせたまひて、召し出でてよませたまふに、奉る
ことなつは いかがなきけむ ほととぎす こよひばかりは あらじとぞきく
こと夏は いかが鳴きけむ 時鳥 今宵ばかりは あらじとぞ聞く
延喜の御代、大和歌を良く知る人を召して、昔の人、今の人の歌を奉れとの命を発し、承香殿の東にある場所で歌をお選ばせになった。夜が更けるころとなって、仁寿殿のところにある桜の木で時鳥が鳴くのをお聞きになり、四月六日の夜であったのでそれを珍しがられ、お召しにより歌を詠ませられた際に奉った歌
これまでの夏はいったいどのように時鳥は鳴いていたのであろうか。今宵はこれほどすばらしい声はあるまいと思って聞いたことであるよ。
勅命により古今和歌集の編纂に携わる感激と高揚感が良く伝わってきますね。同じ歌を収録している『大鏡』の記載では日付は四月二日。貫之集の他の写本でも同じく「二日」としているものもあるようです。仮名序に貫之自身が記載した古今和歌集奏上の日が「延喜五年四月十八日」ですから、この歌が詠まれたのはまさに編纂作業が佳境を迎えていたときなのでしょう。
この歌は、風雅和歌集(巻第四「夏」 第340番)に入集しています。